2人展「Both Side,Now」

Category : blog, Exhibition, News
Date : September 9, 2019

 

9月17日より、大阪の「ギャラリー風」さんにて、中西學さんとの2人展を開催します。現代美術作家中西學さんは、ぼくの大学の先輩でもありますが、本当に長い時間を共に過ごしてきた大切な友人のひとり。それこそ80年代の活躍は、昨年大阪の国立国際美術館における企画展「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」において、彼の作品がメインビジュアルとして扱われるほどめざましいものでした。そんな中西さんと、ぼくがパリから戻ってきて間もない80年代後半に、仲世古さんという共通の友人でもあるキューレターを通じて知り合いました。それから30年に渡って、おそらくお互いの作品であったり、展覧会はもちろんのこと、特にぼくたちが20代の頃には、当時広尾にあったぼくの自宅兼事務所に、よく泊まりに来ていて、「朝まで生アート」とか言って、驚くほどにたくさんのアートな話をしてきた記憶があります。そんなぼくたちは、幸運にも今でもこうやって現役の作家として、終わることなき活動を続けています。そんな中西さんと8年ぶりの2人展です。前回は8年前に今はなき「番画廊」にて開催しました。そして今回でこの2人展は3回目となるのですから、およそ10年に一度、開催していることになりますね。

今回のタイトル「Both Side,Now」は、ぼくがここのところずっと気になっている、ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」という曲のタイトルでもあります。ぼくたちは、こうやって30年に渡って美術であったり、写真であったり、芸術であったりと、常に自身と、そして社会と対峙しながら、制作を続けてきましたが、未だにまだ何もわかっていないかもしれません。それでもその中にある小さな痕跡は、確実に“Now=今”という時間の中に存在していることが確認できます。そして、そんな30年前のぼくたちの小さな痕跡の中にも、今となっては“過去”という時間の側から見ても、やはり同じようなものが見えるような気がします。おそらくこの先も、もしかしたら永遠に、その答えは見つからないかもしれないけれど、きっとぼくたちはこの先もずっと、作り続けていくような予感がします。そんな風に感じて、今回の展覧会のタイトルを「Both Side,Now」としました。そして、そのすがたを是非観ていただけたらうれしいです。

ぼくの展示も、そんな意味合いも込めて、田中一村記念美術館で展示して以来となる、奄美の西阿室という集落にて撮影した老人たちの肖像写真の湿板写真の原版たちと、初の試みとして渾身のセレニウムトーニングを施した大型デジタルゼラチンシルバープリントと共に展示します。ぼく自身も、そんな中西さんの作品と共に、新旧入り交じった展示のすがたを、とても楽しみにしています。

 

『Both Sides,Now 中西學・菅原一剛』2人展

会期:2019年9月17日(火)~2019年9月30日(月)(23日は休廊)
時間:11:00~18:00(金は19:30まで、土日は17:00まで)
会場:GALLERY KAZE
住所:大阪市中央区北浜2-1-23 日本文化会館9階
問い合わせ:06-6228-0138

<ギャラリートーク&レセプション>
日時:2019年9月21日(土)
時間:17:00~
(トークショーは30名定員の予約制)

 

Both Side,Now
青春の光と影

Writen By Joni Michell
Translation By Ichigo Sugawara

流れるように軽やかな天使の髪のように
アイスクリームのお城がフワフワと
そして、まるで羽毛を纏った山々がどこまでも
わたしは、そんな風に雲を見ていた。

しかし、雲は時に太陽を遮り
この世界に雨や雪を降らし
わたしが楽しみにしていたことたちも
そんな雲によって閉ざされた。

わたしは今、そんな雲たちをその両側から見ている。
上から見たり、下から見たり、
しかしわたしには、それはすべて幻の記憶で
そんな雲のことは、なにもわからない。

月と、それは六月、大きな観覧車のように
そしてまるで、めまぐるしいダンスのように
すべてのおとぎ話はいつだって訪れると
わたしは、そんな風に恋を感じていた。

でも今は、そんな夢物語とは少し違う
新しい日常が始まっている。
笑いたい人は、放っておけばいい。
たとえ気になっても、知らないふりをして、
相手になってする必要もない。

わたしは今、そんな恋たちもその両側から見ている。
時には与えたり、受け取ったり、
でもそれらだって、どこかで幻の記憶。
わたしには、恋のことはわからない。
愛についても、実は何もわかっていない。

そこにはいつも涙と不安がある。
でもわたしは、それでも誇りを持って
「愛している」と大声で言う
なぜなら、それはまるで夢いっぱいのストーリーと
そんなサーカスを楽しむ観客のようだから。
わたしは、そんな風に人生を見ていた。

ところが今、古くからの友人たちはみんな口を揃えて
「おかしなことばかり言って、あなたは変わった。」
とわたしに話す。

たしかに、こうやって毎日暮らしていたら、
失ったものもあれば、それでも得たものだってある。

わたしは今、その両側から人生を眺めている。
するとそれは、勝つか負けるかではなく
でもなぜか、それらはすべて幻のようにも感じる。
わたしには、人生のことは何もわからない。

それらはすべて、幻のような美しい記憶。
わたしには、人生のことはわからない。
わたしには、人生のことは何もわからない。


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