長らく連載を続けていたほぼ日の連載「写真がもっと好きになる。」の続編として「写真がもっと好きになる。写真を観る編。」が書籍化される際、小島一郎さんや田淵行男さんといった大好きな日本人写真家たちも加筆して加えたのですが、実は一番最初に是非とも書いてみたいと考えたのが、今回お話しする塩谷定好さんでした。しかしその時は、もちろん塩谷定好さんの写真を何度か拝見したことはあったものの、しっかりと自分の言葉で話せるほど、塩谷定好さんの写真と深く触れ合ったことがなかったこともあって、いつの日か、ということにしました。それでもぼくの頭の片隅には、そのあたたかい印象の光に満ち溢れた塩谷定好さんの写真が、いつの日も大きな憧れとして存在していました。

塩谷定好さんは、1899年東伯耆赤碕町(現・東伯郡琴浦町赤崎)の商家に生まれ、戦前戦後に渡って、生まれ育ったその街を中心に、生涯に渡って山陰地方において写真を撮り続けました。その作風は、当時海外でも流行していたピクトリアズムと呼ばれていたような絵画的な写真。主にそれらは通称“ベス単”と呼ばれる「Vest Pocket Kodak」というコダック製のカメラのレンズフードを外すことによって生まれる、その独特の美しいソフトフォーカスの描写によって写し出されています。また、その印画方法も時に独自の方法を用いて、一枚一枚とても丁寧にプリントされています。そんな塩谷定好さんの写真は、同じ鳥取県出身の後輩でもある植田正治さんをもってして「神様のような存在」と言われるほどに、当時の人々に賞賛されました。そして晩年の1982年には、ドイツにおいて先日亡くなったロバート・フランクさんと共に、フォトキナ栄誉賞を受賞します。それはぼくがちょうど大阪芸術大学写真学科在学中の頃、当時愛読していた「カメラ毎日」にてそのことを知りました。その誌面において初めて塩谷定好さんの写真に出会ったのです。とにかくその時の印象は、少なくともぼくにとっては、けっして古い絵画調の写真という感じではなく、むしろ当時の写真が少しずつ失い始めていた「photograph=光画」という写真本来のすがたそのものなのではとも感じました。同時にこの上なくあたたかい印象を持った、他に比較する写真がないほどに塩谷定好さんならではの個性的な写真。学生時代のぼくは大いに感銘を受けたものです。その日から30年以上の時が流れ、デジタル写真が台頭している今だからこそ、そんな塩谷定好さんの写真と改めて向かい合ってみたいと、心のどこかで願っていました。そんな折、生誕120年を記念して、島根県立美術館の学芸員の方が監修された写真集「夢の翳」が求龍堂より発売され、それを機に島根県立美術館にて展覧会が開催されるということで、ぼくは「これはなんとしても」と、松江に向かいました。

 

 

ぼくがちょうど松江の島根県立美術館に着いた頃、その宍道湖に面した美術館は、美しい夕日に染まっていました。多くの人々がそんな落陽を目出ている。どうやらここは夕日の名所。しかも偶然にも、その日(11/4)はなんと、先日山梨県立美術館でも観た「黄昏の絵画たち」展の最終日。まずは日課の「今日の空」を撮影して、そんな生の夕日を網膜に焼き付けたまま、塩谷定好さんへの逸る気持ちを抑えて、最初に「黄昏の絵画たち」展へ。その展示を観ていると、興味深い共通点をいくつも見つけることが出来ました。まず塩谷定好さんが幾度となくプリントを繰り返した、ぼくも大好きな「村の俯瞰」という作品は、時に油絵の具に蝋燭の煤を加えて、ネガに加筆する「猫起こし」という技法を用いてプリントしています。それと同じように「黄昏の絵画たち」展でも展示されていたコローの版画作品は「クリシュ・ヴェール」と呼ばれる技法により制作されているのですが、これはぼくが使用しているいわゆる湿板写真に使用されているコロジオン乳剤が塗布されたガラス板に対して、エッチングのような方法で、そして時には指などで乳剤を動かしながら、少しでも光の表情を作り出そうと、当時フォンテーヌブロー派や、バルビゾン派の画家たちの間で試行錯誤が繰り返されました。おそらく塩谷定好さんも、同じような想いで様々な技法を試されていたのではないでしょうか。写真の世界においては1930年頃、このような絵画的な手法は、大きな風潮として否定され続けてきましたが、どうやらそんなことは、写真はもちろんのこと絵画の世界においても「自身が思い描く光の姿を追いかける」ということに対する情熱の前では、まるで意味を持たないほどに霞んでしまいます。そんな「黄昏の絵画たち」展を改めて堪能し、そしていよいよ待ちに待った「生誕120年記念 塩谷定好展」の会場へ。その2つに分かれた会場には「村の情景」「子供の情景」「海の情景」「花の情景」と4章に分けられたおよそ200点の作品群が展示されています。その写真を一枚一枚、ぼくはただひたすらにじっくりと、大きな高揚と共に、美術館の閉館時間になるまで、見続けていました。その写真の展示方法には、いくつかの疑問が残るものの、それでもぼくにとって、それはそれは至福の時間でした。そして「なぜぼくはこんなにも塩谷定好さんの写真に惹かれるのか」ぼくは写真と向き合いながら、ずっとそんなことを考えたりしていました。中でも、以前からぼくが好きだった塩谷定好さんの写真の多くは、生まれ故郷「赤碕」の街で撮影されたものであったことに、ぼくがこれらの写真をこよなく愛する大きなひとつの理由があることを確認しました。少なくとも、そこに写し出されている世界は、一つとして特別な光景ではないけれども、すべての写真たちの中には、そんなたわいもない、そしてかけがいのない日常に対して、とても強く、それでいて優しく、そこにあるすべての日常を愛しむように撮影され、そして印画されています。ぼくは常日頃より「写真は日常の中で生まれるもの」と思っています。もしかしたら、この考え方、感じ方は、改めて大いなる憧れと共に存在していることを知りました。それというのも、残念ながらぼくには、祖父の代より山形鶴岡より鎌倉に居を移し、その上父が転勤族だったこともあって、このように大切な日常のひとつとして愛することができる故郷がありません。だからこそ、今までも、そしてこれからも、少しでも自身が安心していられる場所、愛しむことができる場所を、そしてそのようなあたたかい光の光景を、ぼくは探し続けていくのかもしれません。だからでしょうか、ないものねだりのような話ではありますが、それらの写真を観ながら、心のどこかでずっと羨ましいとも感じていました。とはいえ、羨ましいだけでは何も写らないでしょうから、ぼくも今まで以上に、今、目の前にあるこの日常を、より大切に見つめて行きたいと、改めて心に刻みました。
そしてもうひとつ、それらは未だに展示されていた写真の全てを思い出すことができるほどに、大きな驚きと共に、この上なく美しいと感じた「花の情景」のシリーズ。それらは全て、今では「塩谷定好写真記念館」として公開されている廻船問屋だった生家の中で撮影されています。しかしそれらはまるで、もしかしたらあの「ロバート・メイプルソープ」も真似をしたのでは、という疑いを持つ程に、それらの写真たちは、なんともモダンな魅力に満ち溢れています。それでいて、それらは同時に明らかに日常性そのものも写し出されているのですから、これはもう驚き以外のなにものでもありません。変な言い方になってしまいますが、そこに写し出されている草花たちは、どこかでいい意味で花であることなど忘れて、その家屋の中にある美しい光の中で、まるで「日常」の化身として存在しているかのような凛々しさがあります。ぼくもいつの日か、このような花の写真を撮れるようになりたい。

それにしても、こうやって振り返ってみると、今回のように「写真」そのものが、自身の深いところで感じることが出来ることそのものも、どこか久しぶりだったような気もします。そして何よりそれがとても嬉しくて、改めて大きな勇気を戴いたような気さえしているのですから不思議です。

お話ししたいことは、まだまだありますが、今日のところはこのあたりで。
今回何よりも強く感じたことは、まさにこんな時代だからこそ、そして今こそ、このようにあたたかい日常のひとつひとつを、愛しむように見つめ続ける「写真」が、必要なのではないだろうか、ということでした。そしてぼく自身も、そんな写真が一枚でも多く撮れるように、これからも、とにかくもっともっと真っ直ぐに、そんな日常の光景を見つめ続けていきたいと思った一日でした。

 


「村の俯瞰」

 


「静物」

 

翌日、日が変わってもまだまだ興奮冷めやらぬままに、次なる目的地でもあった大阪へ。友人との待ち合わせ時間まで少し時間があったので、それこそ学生時代からよく行っていた近くのカメラ屋さんにフラッと立ち寄ってみると、なんとそこには、塩谷定好さんが愛用していた「ベス単」の、しかもニコンマウントのレンズがショーウィンドウの中に並んでいました。なんだかそのレンズを見ていたら、不思議な縁のようなものを勝手に感じて、迷わず購入。さてどんな写真が撮れるのか、今から楽しみです。

 


My Nikon F + Vest Pocket Kodak

 

そして11月16日より、今度は地元「鳥取県立博物館」においても写真展が開催されます。こちらも是非とも観に行きたいと思っています。


@